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柳田家日記「心覚」刊行!飯田町のくらしぶりが記される新史料
日本民俗学の創始者柳田國男の養嗣子家「柳田家」は、飯田藩主堀侯に仕えた旧飯田藩士です。8代目柳田東助為善は、幕府の老中格を勤めた10代堀親しげの御側用人に仕えた人物ですが、幕末には国元飯田へ帰されました。その東助が文久元年(1861)から慶応2年(1866)までの間に書き記した日記が『心覚(こころおぼえ)』です。この日記には、飯田藩が動乱のなかにあった藩主と家臣たちの動向、柳田家や飯田町のくらしぶりなどが、実に丹念に記されている大変貴重な資料です。
 飯田市美術博物館と柳田國男館では、平成15年度に『旧飯田藩士柳田家日記「心覚」−飯田町と藩士の暮らしぶり』〔一〕を刊行しましたが、今回刊行されたものはこれに続く2巻目となります。

『旧飯田藩士柳田家日記『心覚』-飯田町と藩士の暮らしぶり-(二)』2008年11月刊行 352頁 3500円)


飯田市美術博物館評議員で清内路小学校の鈴川博校長は、次のように指摘しています。
水戸浪士に藩内を通過させた水戸浪士通行事件。これまで藩士の資料は取り上げられず、下伊那地方の民衆尊王攘夷(じょうい)派が活躍した事件とされ、飯田藩と水戸浪士とのつながりが解明されていなかった。
 しかし、日記から「東助と浪士幹部が旧知」「国元の老中らが、藩主に水戸浪士の動向と藩の対応を正確に知らせなかった」「東助が浪士を無事通過させたことに感謝を記した」など、あえて通したつながりが見えた。
 さらに鈴川さんは「事件は飯田藩が不当に中傷されてきた。今後は、藩が受けた不名誉の再考が迫られる」としている。(中日新聞)

※鈴川さんの講演会は、同館で2009年1月25日午後2時半に行う予定です。

「心覚」のお求め・お問い合わせ
飯田市美術博物館(0265-22-8118)
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